よごと3種セット

新たな味への挑戦を続ける

2017年に富山市に古沢本店を開いた『引網香月堂』は、富山を代表する和菓子の名店だ。折々の味が店頭を彩り、移いゆく四季を告げる。伝統菓子を大切にしながらも、新たな味やアイデアを打ち出し、常に挑戦を続けているのは4代目の引網康博さん。次の時代に残す味を模索し続けている。古沢本店の開業と同じ年に販売を始めた「よごと」は、和菓子の材料で表現した焼き菓子。引網さんが、より多くの人に知ってほしいと願う味である。

『引網香月堂』の店頭に立つ、4代目の引網康博さん
白いパッケージに入った黒糖風味の「よごと」
左からカカオ、黒糖、抹茶風味の3種類がある

「よごと」誕生のきっかけ

「よごと」の開発のきっかけは「和菓子と洋菓子の境目は何か」という自分に対する問いだった。一般的に和菓子と呼ばれるものは江戸時代以前に日本に渡来して職人が形にしたもので、洋菓子は明治期以降に伝わったものと区別されている。この見えない境界線によって、和洋菓子の概念が語られてきた。そして、自分に課題を出した。「開国前にバームクーヘンが伝わっていたら、自分はどう表現したか」。生クリームや牛乳、バターは手に入らない時代だ。

写真は「よごと」のハーフサイズ
ハーフサイズ3本の詰め合わせ

ストーリーから和菓子を作る

引網さんはこれまでも多くの味を生んできたが、ストーリーから和菓子を作るのは稀だった。まず、その時代に手に入る材料を選び、頭の中を江戸の職人に置き換えて配合を考えた。小麦粉ではなく米粉、甘みは白砂糖ではなく甘酒や黒砂糖、甜菜糖を使う。丸く作る機械は当時はなかったであろうから、棹(さお)になるように生地を広く流して重ねることにした。何度も割合を変えながら試作を繰り返し、現在のレシピに辿り着いたという。

重なった断面が美しい
寸尺の竹製ものさしで、サイズを測ってカットする
焼きたての「よごと」を冷ましているところ

良い事が重なるのを願って

『引網香月堂』の創業地である高岡市・伏木は、貿易港としても知られる。引網さんは子供のころ、港に来た外国人と接点を持つ機会もあった。外国船でご馳走になったおやつのことは、親に叱られた思い出とともに今でも心に刻まれている。伏木といえば『万葉集』も忘れてはならない。歌人の大伴家持が国守だった時代にいくつもの歌を詠んだ。「よごと」の菓銘は、家持の歌に由来する。新年に降る雪のように良い事(よごと)が重なりますようにという願いが込められている。

菓子のしおりに、名の由来になった歌が紹介されている
名の由来を聞くと、お菓子への想いが変わる
「よごと」の開発について語る、引網さん

和菓子は1年中楽しめるもの

一般的に、涼しい季節と比較すると、夏場は和菓子を買い求める人が少ないとされている。しかし、ふわふわの氷に和の味わいを加えた「引網香月堂」のかき氷は例外だ。波照間産の黒砂糖と京都の黒寿きなこ、自家製の粒あんを合わせた「黒蜜きなこ」のほか、本物の抹茶を使った「宇治金時」、果物と砂糖だけで炊き上げた自家製シロップの「いちご」などの味を揃える。子供たちの夏の思い出の一つになればと、細部にこだわりつつも高級路線には乗らない、身近な夏の定番として毎年展開し続けている。

左/「黒蜜きなこ」(780円)、右/「いちご」(680円)

革新が伝統を生み出す

引網さんは上生菓子の名手だ。テレビ出演やCDのジャケットに使われるなど、多方面での活躍を見せている。お店には製造スタッフもいるが、上生菓子の仕上げは引網さんがしている。お題を出してもらって制作する機会も多いため、花鳥風月でないモチーフも形にする。お客さんに楽しんでもらうためだ。日本で和菓子が生まれて千年、革新と発展を続けてきたからこそ、現代に受け継がれてきた。次の時代に、現代のプレイヤーの味はどう語られるのだろうか。やがて「よごと」も伝統菓子になっていく。

引網さんが即興で作ってくれた上生菓子
自分の納得がいく形を追求している
指先とわずかな道具を使って形にする