温故知新の和菓子作り
『大野屋』は1838年に醸造業から転じて創業した和菓子屋で、加賀前田家の2代当主・前田利長が近隣から町人を招いて住まわせた「山町筋 (やまちょうすじ)」と呼ばれる歴史ある場所に店を構えている。花鳥風月を映した上生菓子は茶人からも愛され、地元では「御遣いものは『大野屋』で買う」と決めている人も多いそう。厳選した素材、職人の鍛え抜かれた技には、大きな信頼が寄せられている。銘菓の「とこなつ」「田毎」は、どちらも万葉の歌人・大伴家持にちなんだ和菓子で、明治期に誕生したという。
和菓子の伝統美を継承する
発売から10年を迎える「高岡ラムネ」は、9代目の大野隆一さんの娘である悠さんと友人で共同開発をした意欲作。かつては落雁や金華糖を作るのに頻繁に用いられていた木型が使われている。時代や嗜好の変化によって、現代は木型を使ったお菓子の需要が減ってしまったが、悠さんは「伝統美や伝統製法を継承する和菓子が作りたかった」と振り返る。家業に入る以前は、流行とは一線を画しながら着心地のいい洋服を展開する「ヨーガンレール」で働いていた悠さん。天然素材にこだわり、日本の伝統文化を大切にする考え方は、洋服と和菓子で共通する部分が多くあるようだ。
高岡ラムネは「現代の落雁」
ラムネというと子供の頃に食べた懐かしい駄菓子を想像するが、悠さんが友人と共同開発した「高岡ラムネ」は『大野屋』の目線で素材を選び工夫を凝らした、和菓子屋にしか作ることのできない「現代版の落雁」。原料は富山県産のコシヒカリの米粉に、拍子木のような棒を使って押し込むようにしながら果汁を混ぜたもの。木型に打ち粉をしたら、親指でギュッと押し込み、小さなラムネをおこす。製造は手加減に頼る部分が大きく、職人の日々の積み重ねが発揮されている。
口の中で静かに消え、果実の余韻を残す
手土産にしやすい大きさやパッケージデザインも手伝って、2015年の北陸新幹線開業後は首都圏にも存在が知られる看板商品に成長した。口に運ぶと静かに消える儚さと、果実の余韻が実に繊細で、和菓子の底力を感じる逸品。最初に発売になった「貝尽くし」「宝尽くし」には、福徳を招く古来からの吉祥文様がデザインされている。その後、花をモチーフにした「花尽くし」、高岡御車山の鉾留や車輪、加賀藩の梅鉢紋などをデザインした「御車山」、四季の美を表現した季節限定品などもお目見えし、多彩な種類を展開する。
揺るぎない美しさを持つ
「とこなつ」の製法や材料は、明治期から変わらない。薄い求肥に希少な備中白小豆で作った餡が包まれている。表面にまぶした和三盆で、雪に覆われた立山を表しているとか。また、河原撫子の古名が「とこなつ」であることから、この名になったとも言われているそう。『大野屋』の和菓子には、揺るぎない美しさがある。「高岡ラムネ」のような革新的な和菓子の登場も、いずれは必然だったと思われる時代が来るだろう。伝統を重ね、職人は研鑽を続けていく。